会議・視察 | 児童夢基金
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次期支援先リサーチ「熊本・佐賀視察報告」


2019年11月26日(火) 27日(水)、次期遊具支援先を決めるために、候補校の視察を実施しました 。候補校は、震災・豪雨被害が大きかった熊本県、佐賀県の教育委員会に電話をしインタ ビューした中で私たちの活動趣旨に合った5校を選ばせて頂きました。


【26日 熊本県】

先の熊本地震で震源地に一番近かった、熊本県上益城郡の中島小学校・益城中央小学校 ・乙女小学校を訪問しました。町の復興は進んでも「遊具」にまで予算を割けない現状で あることを事前にお聞きしていたので、各校ごとに現状・課題をお話しいただき、設置さ れている遊具の現状を確認しました。

■山都町立中島小学校

全校生徒37名の山間に立つ小学校で、統合され廃校となった中学校の校舎・校庭を使っています。教育要領に定められた鉄棒等はありますが、他は中学生用のもの。低学年用の遊具が無い状況です。学校予算も減る傾向で、敷地内の除草や剪定などは地域の方々の協力を仰いでいます。山間にある上に、遠方から通学する為スクールバスが運行されますが、運動不足による腕力と共に脚力強化が課題です。校長先生が「1年生の教科書『くじらぐも』を、ジャングルジムに登らせて体験させてあげたいのですが、そこまでの予算は 。」の言葉が印象的でした。

■益城町立益城中央小学校

熊本震災時、一番揺れが大きかった益城町の小学校で、オープンスペースで学べるモデルデザイン木造校舎に立て替えた直後に震災がありました。体育館が住民避難所となり、校舎が危険になった近隣中学校の授業もこの小学校で行いました。周辺の復興は進んでい ましたが、新たな遊具を設置する余裕は無いとのことでした。

■甲佐町立乙女小学校

益城郡にある小学校で、通学路の途中に大道が通っています。この大道の下を横断用生活道路が通っていますが、復興資材運搬の大型車両が通れるように整備された為、車両の通行量が増え、児童の安全確保の為スクールバスを運行するようになりました。歩いてすぐの学校にバスでいかなければいけない子ども達。地域の復興が進んでも、こんな所に影響やしわ寄せが来ている現実を目の当たりにしました。


【27日 佐賀県】

佐賀県佐賀市の金立特別支援学校、大和特別支援学校の2校を訪問しました。両校とも 特別支援学校としての歴史が長いのですが、事前調査では「特別支援学校は予算が後回し になってしまう。」とのことでした。予算が回ってこない一方で、老朽化した校舎の修繕費や、生徒数増大に関わる設備投資が優先され、ここでも遊具の設置や修繕は後回しになっています。

■佐賀県立金立特別支援学校

身体障がい児の特別支援学校で、小学生から18歳まで118名が通っています。ハンデキャップがある為、座位や臥位でなければ遊具に乗れず、特別遊具が必要です。現在、中庭にある滑り台は、ローラーが腐食し割れている為、使用できません。他のミニゴンドラやゆりかご式ブランコも老朽化が進んでいます。「ここの生徒にとって、自分の身体が滑ってゆく感覚を感じることが、すごく大切なのです。」と語る先生方によって、プレイルーム内に1ヶ月限定で手作り滑り台を設置し(プレイルームのほとんどを占めてしまうので常設不可)、体験機会を構築しています。必要とされている遊具は通常より低いもので 、座位や臥位騎乗ができ、介助者が横に付くことが出来るものです。高額の遊具になり子ども達の為に、という先生方の想いが痛いほど伝わりました。

■佐賀県立大和特別支援学校

知的障がい児の特別支援学校で、小学生から18歳まで290名が通っています。通学に 時間がかかる生徒の為に寄宿舎が併設され平日は中学・高校の生徒が3~4人1部屋で生 活しています。この数年、生徒数が激増し、新校舎を建てたばかりなのに、さらにもう一 棟増築するとのことです。その為、校庭に設置してある遊具は錆が浮いても修繕できず職 員がペンキ2度塗り等の対応を行っています。設置遊具以外にも、寄宿舎での余暇を楽し むDVD等がもっと必要という話をお聞きしました。


【最後に】

視察中、各校でお話しさせていただきましたが、当基金は子どもたちに必要な支援を確 実に遂行する為、場合によっては現在ある古い遊具の撤去などを行政に掛け合う活動も行 います。今後、実行委員会にて支援先を検討、審議します。 支援決定後、できるだけ早く子ども達が希望する遊具の設置を目指します。

最後になりましたが、視察チームの訪問時にお忙しい時間を割いてご対応下さった山都 町教育長、各校校長先生、教職員の皆様、そして我々を暖かく迎えてくれた生徒の皆様に お礼と感謝を申し上げます。また、突然お伺いしたのにかかわらず、とても歓迎していた だいた熊本市中島小学校校長先生・生徒さんにもお礼申し上げます。

(参加者:青柳・青山・若松)

「陸前高田・大船渡・気仙沼」視察


2012年9月1日に行った陸前高田・大船渡・気仙沼視察の様子をレポートいたします。


2012年9月1日

【参加委員】高岡・青柳・高橋・藤井・岡本・草谷・佃・岡野・若松(以上9名)

【迎えてくださった現地の方々】小笠原ちとせ(小学校教諭)さん、ご主人 明寛さん(中学校教諭)、ご子息 小笠原史晃くん(大学生)、気仙成田山の小林さん、仮設住宅の芳野さん、写真館の尾形さん


09:50 新幹線にて 

一ノ関 駅に到着、レンタカーで陸前高田に向けて出発!

11:00 竹駒駅

大船渡線の震災前は竹駒駅があった場所にて、小笠原ちとせさん・史晃くん、芳野さんと合流。 震災前の写真を交えながら説明いただく。
駅舎は跡形もなく、線路の姿もないホームには、雑草もはびこって… 転々と残る白線だけが、かつてここがホームであった事を物語っていました。

[ホームから海の方向を眺めると…、ここを津波が押し寄せてきました]


光景の悲しさとはうらはらに、駅前には仮設の店舗が数件並び陸前高田の人々の、復興への力強さも感じました。


16:00 気仙成田山 金剛寺

流されてしまった鉄橋の残骸が痛々しい気仙川を渡り「気仙成田山 金剛寺」へ。 不動堂は、急な石段を登る高台にあるため、たくさんの人がここに避難。 この町のみなさんは眼下に広がる瓦礫の中、50日間もこのお寺に生活していました。 本堂はすべて流され、今は「成田の湯」の看板が掲げられる休憩所になっています。 ドラム缶にお湯を沸かして、入浴できるように整えられた所であったことがしのばれます。

[当時は寒さの中での避難生活]

振り返ると、何もなくなってしまった平らな土地の遠くに、高田松原の名残が見えていました。 この階段のすぐ下まで津波が押し寄せるなどとどうしたら予想できたでしょうか・・・? 町を見下ろす境内の木漏れ日の中で、 お寺のご住職の奥様であり、アルバムを受け取られた子ども達のお母様である小林さんに、 当時のお話を伺いました。

震災に襲われたのは、中学三年の生徒たちに卒業アルバムが渡る二日前でした。すでに中学校におさめられていたアルバムは、 子どもたちの目にふれることなく流されてしまいました。 小学校の卒業アルバムは、すでに子どもたちの家に持ち帰られていましたが、 一帯に500軒ほどあった家も、たった一軒を残して全て流されてしまいました・・・。
「児童夢基金の支援は、ほんとうにありがたいことでした・・・」と語る小林さん。
気仙中学・気仙小学校の生徒たちは一人も欠けることなく卒業することができ、復元できたアルバムは親にとっても心の支えになっているそうです。

[震災前の写真と比べる不動堂からの眺め]

美しい城下町の形を残す家並も、樹齢数百年を誇る由緒ある綺麗なしだれ桜も名勝の高田松原も、すべて波にのまれてしまいました。 高田松原は江戸時代の豪商・菅野氏が私財をなげうって6000本余りの松を植樹したもの。その後、時をかけて7万本のもなった松林は美しい防潮林となり、 全国に聞こえる白砂青松の名勝となっていました。
今はその面影もなく、「奇跡の一本松」だけが立っています。 松原の木々になぎたおされていく我が家を見た方にとっては辛い想い出とも・・・・・ 一部の人には心の支えの一本松も、別の方には痛みの象徴。。。。人々の思いは複雑だそうです。
しかし、震災があった時期が春先でよかった・・・ 津波が来た時間が、昼間でよかった・・・・ 時期によっては、もっと悲惨な状況にもなり得、より多くの犠牲者が出ていたに違いない。 昨年の今頃は、大量の大きなハエが飛び回っていたけれど、 一年を経た今は、そんなこともなくなったそうです。
復元されたアルバムや、資料をたくさんご用意いただき、丁寧に心のこもったお話をしてくださいました。

[不動堂から望遠で撮った、気仙中学校]

高校教諭の明寛さんにも当時のお話を伺いました。
・・・地震から10分。河口付近は広く水をたたえている川の水が一気に引き、気仙川の川底が見えた。 いったんはいつもの低い避難場所へ逃げたが、これは尋常ではない・・・と気づいた有識者の誘導で 小学校のある高台まで、みんなで逃げた。
津波が来るとわかっていても、お年寄りなど周囲に説得されても逃げない人も…。 波の威力や時間との闘いの中「手をはなして逃げろー!」という言葉に、一緒に逃げていた人をおいてきてしまった人々。命は助かったけれど、心には大きな傷を負っている人もたくさん。 本人の思い、周囲の思い。日常生活の中に、抱えている思いは計り知れない。
波にのまれても、瓦礫にぶつからなかったら、助かった人も多かった。ひとの運命は様々。 日常では、海が見えない場所にも津波が来る。
松原さえも見えないし、 はるかかなたに海辺の高い建物がやっと見えるだけ・・という立地にある竹駒駅周辺の人々は、警報が出ても誰も逃げなかった。
地震の片づけをしていた人びとは、津波に気づく間もなく流された。
50㎝の津波でも、養殖にたずさわる漁業関係者には壊滅的。今回の津波は10メートルを超えてきた。

【地震の教訓】
電気はまちがいなく止まる。電車は緊急停止がかかる。
今では、車にはいつもガソリンを満タンにしている。
外出時は常にラジオと食べ物を持っている。
缶詰・米・水・固形燃料・・・。桃缶は、中を食べたら外は鍋になる。
固形燃料3個ででごはん一合が焚ける

[それぞれの体験、それぞれの想い]

不動堂前にはボードにみなさんの想いが綴られていました。 小笠原ご夫妻も、ご家族の中でもまだ語り合っていない、当時の話を私たちに伝えてくださったとのこと。 震災の話をお互いの口から聞けたこと・・・それを「聞けて良かった」と思ってくださったこと。 それも「今、私たちにできること」の一つだったかもしれません。

[たくさんのお話をありがとうございました]



13:20 幸福の黄色いハンカチ

菅野さんという方が、流れ着いた廃材を組んで「幸せが戻ってくるように」と自宅跡に黄色いハンカチを掲げたことを耳にした山田監督が訪問し、メッセージを手渡したそうです。
その後、丸太で塔もたてられ、 現在ではたくさんの黄色いハンカチが大漁旗とともにはためいていました。この秋、震災後の時代背景で映画作品がドラマ化されるそうです。
(脚本・監修は山田洋二 / 主演は阿部寛)

[可憐なコスモスの花がゆれていました]



13:30 大船渡へ

昨年の視察で訪問した気仙小学校を車窓より見学。瓦礫はだいぶ少なくなっていましたが、その後積み上げられていた車が炎上し体育館まで火が及んだため、現在は校内立ち入り禁止。
海沿いへ出ると、車窓には野球場「オーシャンビュースタジアム」の状況が…。 巨額の投じた野球場は、落成式をして一週間ほどで津波の被害にあいました。まだ水浸しの部分もあり、満潮時には危険な状態にもなるそうです。 一度も試合の歓声を聞くことがなかった照明塔が、役目を果たせない中、すっくと立ち続ける姿が痛々しいです。
移動途中、高台を走る車窓から美しいリアス式海岸を見下ろすと 静かな青い海が広がっているのが見えました。 湾の中には養殖筏がきれいに並んでいて、 復興の兆しも見えました。 このおだやかな海があの恐ろしい海と同じ海だとはとても思えませんでした。      


13:50 大船渡の屋台村

[観光客も多いという屋台村]

横丁のように仮設店舗が並び、中央の広場にはピザやスモークの窯などがある屋外テーブルもある立派な屋台村に、一同ワクワク。 お店の大将から、大船渡の住宅事情と、屋台村の現状などを伺いながら、数名に分かれて屋台で、おいしい海の幸をいただきました。 課題や疑問が積もっていく日々ながらも、復興へ向けて力を合わせて一歩づつすすんでいることが伝わってきました。


15:00 仮設住宅

訪問させていただいたのは、ポストや公民館など、集会スペースなども整えられている仮設住宅。 「その分移住するチャンスが他の仮設住宅よりも後回しになるでは」という懸念もあるそうです。
ご自宅とは違い、狭くて窮屈、夏は暑くて冬は寒い・・・。そんな暮しの中にも、少しでも快適に過ごせるようにと、住みやすさやの工夫が 随所に見受けられました。希望を見つける難しさ、働き口、通学の不便さ、日々のストレスとの闘い・・・・ 問題山積ながらも、日々の生活を家族でのりきっているご様子でした。敷地内の空いたスペースでしか遊べない子どもたちのために、 前の敷地を整備して遊び場をつくっているそうです。

[移転先の見通しなかなかたたず]



16:10 奇跡の一本松

7万本の松林の中から奇跡的に倒木を免れ、今では復興支援のシンボルになっている一本松。 厚いコンクリートのユースホステル(休業中)が津波から木を守る役目を果たしたとのことですが、それにしても凄い生命力です。見上げると、青い空をバックにいくつものまつぼっくりがついているのが見えました。
根本には活性剤を撒かれたり、傷ついた幹に菰を捲いたりと、衰弱していく松を守るために色々と手が施されました。 一時的に回復の兆しが見えたものの、地盤沈下で、塩分の高くなった土壌では根を守ることができず、保存のために9/12に伐採される予定。

奇跡の一本松
[今では波もなく穏やかな海]

震災後は一本松近くにさえ行くのをためらっていたという明寛さんと一緒に、新しい仮設堤防の上へ…。松林も砂浜もなくなり、すっかり海岸線は地形が変わってしまったそうで、 海が全てを飲み込んで近くに移動してきたという脅威を感じました。


16:50 気仙中学校

[子どもたちの思い出がたくさんつまった場所]

校庭には、種類別に分けられた瓦礫の山がいくつもありました。 埋められるもの、リサイクルにまわるもの・・・。校舎に目を転じると、とても長くは正視できないほどの状態で 思わず撮影もはばかられるほどの姿。その破壊力を、校舎の前に立つものに見せつけていました。
呆然とする光景の中、掲げられた垂れ幕や設けられた掲示板には前向きな言葉が並んでいました。 この風景の中、子どもたちがどんな気持ちでこれを綴ったかと思うと、胸がつまりました。


17:40 気仙沼 打ち上げられた船

[船の下には車がぺしゃんこに]

岩手県に別れを告げて宮城に入っても、沿岸は同じような光景が続きます。 しかし突然、違和感のある巨大なものが視界をさえぎります。 第十八共徳丸。港から500メートルも内陸に打ち上げられた大きな漁船でした。 震災前は誇らしげに活躍していた漁船が、行き場を失って無残な姿をさらしていました。
海に戻れば活躍できるとはいうものの、その運搬費は5億円。 すでに持ち主は、現役復帰させる事を諦め、気仙沼市は「復興記念公園のモニュメントにする」との考えから、現在も解体・撤去されずに保存されています。
人びとの家をなぎ倒していった脅威が、津波の教訓として残されるのか!?こちらもまた、一本松と同様に象徴としての保存の賛否が波紋を呼んでいるようです。


18:00 気仙沼港

[未だ活気がもどらず]

気仙沼港に近づいてくると、また景色が一変。 津波にやられたままになっているコンクリートやRCの建物がたくさん目にはいってきました。 気仙沼自慢の水産業の復興には、まだまだ時間がかかるのだなという感じがひしひしと伝わってきます。 地盤沈下のため、港が下がり今にも海水がはいってきそうな緊張感さえありました。 観光客もたくさんきた当時の活気あふれる港へ戻るのはいつになるのでしょうか。


18:00 懇親会

ここからは写真館の尾形さんにもご参加いただき、今後のアルバム支援と「夢基金」のありかたについて話し合われました。

●子どもたちのアルバムへの思いは、大人とは温度差がある。
 →押し付けられた「記念」になっては悲劇
●陸前高田に限らず、東北沿岸の各地からの申請を受けるべきか?
 →申請フローを明確にする必要がある。
 →受けるとすれば、その数量をどのように把握するのか?
  どの地域で、何人が何冊のアルバムを必要としているのか?
  これについては、尾形さんに「日本商業写真協会」に連絡をとっていただく予定。
●今後は卒業アルバム支援にフォ-カスする価値があるのかどうか?
 →子どもたちにもっと必要な支援があるのではないか?
●高価な装丁のアルバムの是非
 →データの形での復元は個人情報等の規制
●無料でアルバム復元する業者の危険性
 →無料とうたっているが、実際は金銭を要求される例もある。    
●児童夢基金ブランドのありかたについて。
 →継続の為に「夢基金ブランド」をどう生かしていけばいいのか?
●ノベリティ製作について。
 →ステッカー、缶バッジなどの作成とデザインについて
●真の支援とは?
 →大がかりな事をするより、関係性を深めることに重きを置く    
 →一番大切なのは、忘れてないということを伝えること
●組織論について
 →「夢基金」の組織としてのありかたを見直す時期に来ている

[尾形さんより震災記録資料とDVDをいただきました]

これらの議案や、課題を、現地の方々のお考えも伺いながら、意見を述べ合いました。 また、委員会では伺えない会計監査の草谷さんにも客観的に数々のご意見をいただきました。 今後は、委員会に場を移して、議論を重ねていきたいと思います。
今回の視察にご協力いただいた、現地のみなさまほんとにありがとうございました。

「福島!元気に遊ぼうプロジェクト」児童施設に遊具を寄贈


2011年12月3日に「福島!元気に遊ぼうプロジェクト」で、子どもたちに遊具。 震災後、福島県では原発の影響で、屋外での活動が制限されている地域がたくさんあります。 今回は、福島の子どもたちに、限られた時間をおもいっきり遊んでもらうためのプロジェクトです。
 まずファーストステップは、養護施設「福島県相馬市立愛育園」。 原発から30Km圏内に位置し、2時間しか外で遊ぶことができないため、人気の遊具には順番待ちの列が続いているそうです。 現場の先生方からのご意見もいただき、今回は子どもたちが大好きな一輪車とホッピングを贈りました。
 

[未だ大変な現状のお話を伺いました]

[新品の遊具に目を輝かせるこどもたち]



2011年12月3日
出発前にアクシデント発生!高岡会長がギックリ腰発症したため、止む無く直前に参加を断念することに。 会長から、託された線量計でポイントごとに計測記録するように依頼を受け、非常に心細い中早朝に都内を出発しました。
【参加者】
 委 員:青柳由美子・山段晴揮
 協 力:山段晶子様
04:40
世田谷出発 0.05mcsv/h 雨模様 東北自動車道路
福島西で降りる
途中山間部の霊山子供パーク通過時線量計測0.43csv/hソ連製線量計では警告ゾーンに! 一同かなり不安な気持ちに・・・。
11:00
相馬愛育園着 0.07mcsv/h
園長 木下旬氏、次長兼指導係長 岡田泰子さん、指導員 荒博史さんが迎えて下さいました。

○震災直後は車数台を用意し、約2週間は、いつでも子どもたちを安全な場所に
 避難させられるよう緊張していた
○市立の養護施設のため、ありがたいことに支援はあちこちから話がある
○園庭の土は除染したが、まだ完全な状態ではないため、水はけが悪く雨が降ると
 まるで池のような状態。 あと数センチ分の土が必要だが、現在土の値段が高騰。
 簡単に追加できる状況ではない。
○外遊びは一日1~2h ストレスがたまった子どもたちにもめごとが増えた etc…


今回の児童夢基金から搬送した『1輪車8台 ホッピング5台 そして、株式会社カシマヤ製作所 西上 茂氏から寄付された、縄跳び170本、ボール41個』の一部をお持ちすると、子どもたちから歓声が・・・! その笑顔は、東京から不安を募らせていた私たちに大きな勇気と元気をくれました。
帰宅後にも、指導員である荒さんより電話がありました。 「来てくれて、涙が出そうに嬉しかった。本当に本当にありがとう!」 一日の疲れは、彼の涙でかすれたこの言葉ですべてきれいに洗い流されました。

◆後日届いた御礼状
初冬の候、児童夢基金 様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
この度は、愛育園の園児たちに一輪車等をいただき心から感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
いただきました一輪車は園児たちの遊具として利用させていただいております。
現在、在園の子どもたちは、二十八名でございますが、全員元気に勉強やスポーツに 励んでおりますことをご報告申し上げます。
今後とも、園児に対し、暖かい励ましのお声をおかけいただければ幸いに存じます。
終わりに児童夢基金様のますますのご発展をご祈念申し上げ、このたびのご厚情に対し 書中をもちましてお礼といたします。
敬具
平成23年12月15日
相馬市立 相馬愛育園長

実行委員会


2011年10月27日に行われました実行委員会につきまして下記ご報告申し上げます。

【出席者】

高岡哲郎・青柳由美子・羽田雄一郎・高橋睦美・藤井裕子・岡本彩子・星野恵美子・山本麻由美・
山段晴揮・橋本裕子・久保直子・武田徳子・大久保純子・若松三容子



Ⅰ.1016ホームコンサートの報告と今後の課題について
〇コンサートの報告
・参加人数は44名(大人 27名・子ども17名)
・参加いただいたみなさんからも好評で、第2弾を!の声があがっています。
・当日トイレが流れなくなるトラブルがあってみなさんにご迷惑をかけましたが、
 それ以外は大成功!
〇会計報告
・ホームページにて報告済
〇今後の課題について
 手作り品などの協力について、今後どのように対応していくか
・今回のホームコンサートでは、手作り品を提供いただいた委員3名より、
労力・材料費などすべて寄付していただいきました。
・今後は、コンサートなどのイベント売店はイベントコンテンツのひとつとして、人力以外の持ち出し経費は領収書をお持ちいただき経費として計上する。経費承認はその後の委員会で行う。
また今後「ドネーションショップ」として運営するものは経費計上一切なくすべてドナーの寄付でまかなうこととし、イベントの売店とドネーションショップは運営の基本方針を別とする。


Ⅱ.第1プロジェクト「卒業アルバムを復元しよう!」の締めにむかって
〇募金状況報告
・ホームページにて報告済
〇今後の流れ
・寄付先入金口座開設に向けて調整を行う、ただし第三者が監査しやすいように通帳管理を公明に行う仕組みを添加する。


Ⅲ.事務局HP担当より
〇スペシャルサンクス欄の設置
実際は、実行委員だけでなく、たくさんの人に支えられている児童夢基金。
HPの「実行委員」のページの下に、協力していただいた、企業やアーティストのみなさんのお名前をどんどん掲載していってはどうか?それが、先方のPRにもつながれば双方効果あり。
現在掲載可能なみなさんに要確認


Ⅳ.前実行委員長から総評
〇羽田 全実行委員より
忙しくなってきてなかなか協力できずにすみません。 ホームチャリティコンサートも成功に終わりみなさんおつかれさまでした。 次回のプロジェクトにむかってがんばりましょう。

臨時総会


2011年9月12日に行われました臨時総会につきまして下記ご報告申し上げます。

【出席者】

吉村温子(顧問)高岡哲郎(実行委員長就任) 高橋睦美(会計)草谷隆文(会計監査就任)
青柳由美子(事務局長)羽田雄一郎(事務局就任)若松三容子(事務局書記)
藤井裕子、岡本彩子、巽祐里子、山本麻由美、秋元みどり、久保直子、武田徳子



Ⅰ.役員交代について
委員長、羽田氏から高岡氏に交代。羽田氏は事務局としていっそう 基金に尽力いただく。
また委員長交代にともない代表住所は世田谷区SUNSMILE事務局内に置く。
監査役に、草谷隆文氏が就任。


Ⅱ.9/3現地視察報告
詳細はHPに掲載したとおり


Ⅲ.アルバムプロジェクトゴール設定
・9月末に、アルバム希望者数最終決定。
 (中学2年生~高校2年生 約160冊ほどの見込み)
 (自費ででもアルバムを再発行したい親御さんがたくさんいる)
・10月16日チャリティホームコンサート開催
 (詳細決定次第、当サイトにて告知、申込み)
・10月17日基金応募締切
 (締切1週間後を目安に、当サイトにて合計金額等を報告。)
・アルバム制作支援にかかる諸経費を相殺し、残金全額を寄付する。
・希望者多数により全額負担できない場合は、一部自己負担をお願いする。


Ⅳ.今後のプロジェクト検討
・支援物資はかなりあふれてる。
・物をもらい慣れたこどもたち。
・慰問活動も現場の先生のハンドリングが大変。
・学校の先生たちは休み返上で疲れている。
・非日常で夢を与えるというよりは、現実的な毎日の日常生活をサポートするべきでは?
・自己満足ではない、被災地の現状を把握した支援が必要。
・被災地窓口を広げ、現評議員小笠原氏の負担を軽減するべきでは。

◆◆先生リフレッシュプロジェクト◆◆
~子どもたちにとってかけがえのない存在である先生が休みをとるきっかけづくり~
・温泉の招待券などは
・アロマテラピーでリフレッシュ
  >>もっと現場ニーズの掘り起こしが必要
  >>先生が休みを取るためには校長先生がカギ!?
(事務局より校長先生に直接電話でヒヤリングする予定)
◆◆被災地支援窓口(評議員)の拡大◆◆
・福島エリアの児童専修卒業教育現場従事者に打診。
◆◆チャリティバザー活動◆◆
・出店できるイベントなどの情報をリサーチ。
◆◆募金活動の考え方◆◆
例えば、イベントみたいなことだけでなく、 普通に友人と食事をしたときに、みんなに了承を得て 端数を多めに金額を徴収し、それを募金にするなど、 各自が日常的に無理のない範囲で習慣的にしてゆかないと、 なかなか続いてゆかないのでは。
実際に、会議の後みんなで食事をして3680円ぐらいのところ、 4000円を集金して、残りを基金にまわしました。 みなさんもぜひ、実践をよろしくおねがいいたします。。


Ⅴ.会計より
・現募金状況は、8/31現在で895,000円 。
 アルバム希望者の最終の数がまだ出ていませんが、1200,000円ぐらいが目標。
 10月17日基金応募締切日まで、みなさん引き続きよろしくおねがいいたします。
・HP更新経費として年1万円を計上。


Ⅵ.事務局HP担当より
・HP更新経費のご配慮ありがとうございます.
・サロンコンサートやバザーなど各地域でチャリティイベントなどが開催されていくと
 よいですね。
 被災地からのニーズなども含めて、みなさんどしどし情報をお寄せください


出席できなかった委員より “現場の声!”コメント
実行委員会に出られなくてすみません。
私は現在、東京都の出先機関として社会福祉協議会と協働して被災地のボランティア受け入れ業務をしています。 例えば、被災地のある家が泥だらけになって困ってる!と言う個々の情報などを収集して、そこに日々やってくるボランティアを送り込む交通整理の元締めみたいなものです。 そんな現場での感想を一言。

「必要ない支援物資はいらないから、本当に必要なものがほしい!!」

ですので、今回のアルバムプロジェクトのように子どもたちの明確な想いを、直接汲み上げられるのはとてもいいですね。 それこそ、ちゃんと考えていない人たちと違うところだと思います。
みなさん、ぜひ推進よろしくお願いします。
実行委員:やすゆき